元気があれば何でも出来ますか?
先週水曜日、同僚のIさんが病気で亡くなった。
まだ48歳だった。
ゆうべは、そのIさんのお通夜に参列した。
Iさんは2年前に中途で転職されてきた、ITエンジニアだった。
Excel VBAが お得意で、マクロを組むのは、お茶の子さいさいだった。
実は、Iさんが転職されてきた時、ちょうど俺が病気で会社を長欠してて、仕事に穴をあけていた。
何を隠そう、その穴を埋めてくれたのが、入社したてのIさんなのであった。
「勉強をかねて、それから、会社に慣れるついでに」ということでの計らいだったと聞いている。
そのIさんが突然亡くなった。
しばらく会社を休まれていたが、近々復帰するような話が出ていた矢先の出来事だった。
ああ
お子さんは、一人で高3の息子さん。
Iさんは物静かな割りに、学生時代にバンド活動をやっており、その影響で息子さんもギターを始め、この秋の高校の文化祭に向けて練習しているとのこと。
Iさんは、その晴れ舞台を見るのを楽しみにしていたのだそうだ。
お子さんは我が息子と同い年である。
我が息子もギターを始めているという共通点を考えると、さぞかし、無念だったことと思う。
悲し過ぎだな。
香典返しに奥様の手紙が入っていた。
それは、通り一遍の文面ではなく、いくつかのエピソードを交えた、奥様の愛おしい気持ちがいっぱいに詰まったものだった。
帰宅して、妻に、
「俺が死んだら、どんなふうに書く?」
…と、尋ねようとしたが、
「また、そんなこと言って…」と、
イヤな思いをさせてしまいそうだったのでやめた。
今日は告別式へは行かない。
会社で仕事の予定となっている。
「もう、お顔を拝見出来ないんだな」
そう思った俺は、
お通夜がひと段落したところで、
「最後にもう一度、お顔を拝見したい」 と思い、
スタッフの方に確認した上で、御拝顔させていただいた。
物静かなIさんのままだった。
Iさんが作ったマクロボタンは、Nさんの作業Excelファイルの中でこれからも活躍する。
言わば、形見になってしまった。
いつまで光を放ち続けてくれるだろうか?
「何にもないところから何にもないところへ一瞬光ってパッと消える」
それを人生だと、シンガーの白井貴子さんが以前、尾崎の追悼番組で言っていた。
全くもって、その通りだと思う。
命は思いどおりにはならない、そして儚い。
だからと言って、適当に生きることなく、丁寧に生きたいと思った。
身近な人の死は、自分の存在を確認する機会でもあった。
合掌。。。