弁証法-2

弁証法とは



「正」が疑わしくてそれを否定すると
対極にある「反」を肯定することになります。



しかし、



どうやら
「反」も疑わしく、
それを否定しようとすると、
二重否定となり、
そこに矛盾が生じます。



例えば、
信号のない横断歩道。



道交法では、
横断歩道付近では車は徐行しながら、
歩行者がいたら停まると定められています。



歩行者がいたとします。
「正」は「停まる」です。



…が、
実状は
「停まらない車が大半」です。



あ巡りさんも
なかなか取り締まらないですよね。
(そこまで手が回らない?)



つまり
「反」がまかり通っているのです。



なぜ、それが成立するのか?
ですが、



それは、



そこに「歩行者は横断歩道では一旦立ち止まって確認」という、
道徳とか倫理という名の
「合」が存在するからです。



この例は
日本だからこその
「あたりまえ基準」かも
しれませんが…



それは
キレイゴト的に考えれば
不遇だとか理不尽ってことになります。



…ですが、実社会は
「どっちもどっち」的な
法律や理屈では割り切れないことばかりなわけでして、



「正」
 →「反」
  →「合」



…が
あらゆるところに
存在します。



「自由と平等」
「義務と権利」



できない理由は
できる理由。



「できるかできないか」
ではなく、
「やるかやらないか」
なわけです。



ある偉人の言葉に
「失敗したことがない人は
 一度も挑戦したことがない人だ」
とあります。



答えは
自分の中にあるんです。



「やらない後悔」



それだけは
したくないものです。