16年前の今日

16年前の今日、妻(当時は彼女)と俺と俺の上の妹の3人は護国寺に参列していた。
冷たい雨が降りしきる中、3時間ほど献花の列に並んでいた。


そう、尾崎豊の追悼式があった日である。
4万人の参列の中の3人は我々である。


あの日は寒かった。
雨も冷たく、風も冷たく、凍えるように寒かった。


やっと護国寺に入り、一輪の白菊を手にした。
進んでいくと、尾崎の遺影が大きなスクリーンに映し出されていた。
そして、誰彼とも無く、彼の歌を歌った。


あの時の心境だが、
訃報の後、数日が経っていて、俺は意外と落ち着いていた。


尾崎のライヴには2度行った事があるが、
尾崎豊という人は本当に存在していたのか?」
「俺は尾崎豊という幻を見ていたのではないか?」なんて思ったりした。


だってさー、ライヴへ行ったといってもチケットはなかなか取りづらくて、
指先くらいの大きさの彼しか観てなかったわけだし、間近で見た事が無かったわけで、
この人が本当に居たという絶対的な確信がなかったから。。。


つまりはもともと異次元の人、
だから居なくなったとしても割り切れるって思っていた。


だがしかし・・・
これ以降、新譜が待ち遠しくなるようなアーティストが居なくなってしまったのであった。
そのまま現在に至るのである。


16年前のあの日を境に、ギターを手にする機会が増えた。
そして、受け取るはずだったであろうメッセージを
自分の手で自分に向けて放ち始めたのであった。