今日、高校同級生でラグビー部だったY・Hに約15年ぶりに会った。
15年ぶりだが、相変わらずの童顔である。


彼は今、仙台に住んでいて、不動産関係の仕事をしているのだが、
本社が池袋にあって、出張で来たとのこと。
よくよく聞いてみると、3ヶ月に一度くらいのペースで上京しているらしい。


彼の当時のポジションはプロップで、副キャプテンをやっていた。
高校時代の大会の試合で、唯一映像が残っている試合がある。
高3の春の大会の準々決勝の映像であり、それは俺が持っている。


その話になって、「あれは絶対勝てた試合だったよな」と当時を振り返る。
当時、俺らは近くにラグビー部のある高校がなく、
大会といえば、ある意味、ぶっつけ本番だった。


その準々決勝の相手は常に強豪校でだったこともあり、
経験値不足の俺らは伝統に負けたといってイイ試合だった。
当時1トライは4点で、試合結果は16−4。
試合に勝って勝負に負けた試合だった。


唯一のトライは俺が挙げたのだが、
俺のゴールキックがキチンと決まっていれば、あと5点はとれていた。


それ以上にレフリングに泣かされた試合だった。
最近、レフリーをやることが多くなって、わかったことだが、
試合は、実力の差も去ることながら、
レフリーがコントロールできる要素が多分にある。


点差を見ながら、
「これくらいは見逃してやろう」とか「ここは厳しくとろう」とか。
ラグビーでは「レフリーが絶対」というラグビー精神がある。
・・・が、やはり強豪チーム側に有利に吹いてしまうことは否めない。
レフリーも人間、なるべく文句を言われたくないからね。
レフリーを味方につけるのも勝つための条件なのである。


青春のあの1ページ。
勝っていたら、もう少し胸を張れたはずだった。
ああ、あの試合をもう一度やってみたい。
でもそれは、悔しい思い出として一生忘れることの出来ないものでもある。
 

俺はラグビーをずっと続けている。
あの悔しさがまだ解消できていないってことが
心の根底にずっと残っているのである。